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(6分)

ちゃけ@少しお休み
録記高最 会大泳水 学大国帝 sm12603008

 1932年のロサンゼルス五輪、男子競泳陣は400m自由形以外の5種目を制覇した。そしてその中にある2人の水泳選手がいた。
名前は田所と遠野、彼ら2人は水泳「男子自由形810m2人組」という競技で金メダルを取った。
当時中国との利権を巡り日米の対立が深まる中、馬術の西竹一とともに世界的に評価された。
その後2人は世界水泳大会において前人未到の7連勝をした。とりわけ遠野の美しい泳ぎ方は観客を魅了し「世界のトオノ」と呼ばれた。
 しかし時代は彼らの活躍を許さなかった。太平洋戦争が勃発し遠野と田所も徴兵され第2師団に所属しガダルカナル島に配属後1943年戦死。
時は経ち1947年、GHQにより水泳競技から2人組が除外された。「選手の健康上の問題」と理由付けたが本当は日本人に勝たせたくなかったからだ。
 
アメリカ第1海兵師団に所属していたマイケルは晩年ガダルカナル島の思い出を綴った日記を家族に公開した。

 私は洞窟陣地に逃げ込む2人の兵士を見つけた。一目でそれが田所と遠野であると分かりすぐさま覚えたてのたどたどしい日本語で投降するよう呼びかけた。
「私は貴方達を見て水泳を始めた、日本語も覚えた、私の憧れなんだ。世界から貴方達を失うのは惜しい、だからすぐに銃を捨てて投降してくれ。」

 しかし返事はなかった。その直後友軍の艦艇からの艦砲が陣地に直撃、一瞬にして目の前が砂ぼこりによって遮られた。
私は部下とともに急いで陣地を掘り起こしだした、彼らを助けるためだ。

 10分後陣地内から田所と遠野が見つかった。穏やかな仏のような表情で抱き合いキスをしたまま死んでいたのだった。
私はその場で泣き崩れ部下に体を支えられながら何とか基地に戻った。
                                              1942年12月15日

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