最近小説を投稿し始めました。黒歴史になるかもしれないですね。
https://kakuyomu.jp/users/keltosan
ん!ご丁寧な挨拶恐縮だ!そういう礼儀、礼節からもう私などとは人間の質が違うみたいだな!
む…なんと…私の精神に余計な負荷をかけまいとみえみえの気遣いをするとは…やはり生まれ持った度量が違う。3歩下がって見上げない限り私ごときにはその全貌が掴めそうにない。会って数秒でこうも私の心を打つとは。こんな人には、どうやら一生分の尊敬を費やさなければならないようだな。まったく、お恨み申し上げるぞ。
とまあ、こんな感じで無用の心配をかけてしまった償いは身体でさせてもらおう。ひょっとしたら抵抗する素振りを見せるかもしれないが、それは場を盛り上げるための演技だから。
とまあ、色々言ったが言いたいことはこんなことじゃない。もっと大事なことを言わなければならない。しかし、私のような黄金比の顔を持つ美形の若者は、直線的すぎる言葉で言ってしまうと、イマイチ締まらない。おっと、卑猥な意味ではないぞ。
やはりここは、次世代を担うセンシティヴな言葉で言おう。
「インターネット、蕩れ。」
うむ!『蕩れ』は『萌え』の1つ上のレベルに居るだけあって、良い表現だ!
しかし…これでは私が覚えたての言葉を無理矢理使おうとしているにわかのように見えてしまいそうだ。私はそうではないことを、一応証明しておかねば。それを証明するには、このノンフィクションな物語を読んでもらう必要がある。
***
私が高校3年生のころの話だ。
当時私は学校というものが嫌で嫌で仕方なく、しまいには全身に脱力感と吐き気に襲われるほどだった。
そんなのだから、保健室にいくことが度々あった。そして私はベッドで寝かせられるのだ。
さて、そのベッドというのは嬉しいことにカーテンで囲われており、少しだけプライベートが確保されている。とはいえ、先生がいきなり来ることがあるため、スマホを触ってサボりなんてのはやりにくいのだが。
それはそれとして、ある日私は気分が悪くなったので、3時間目に保健室のベッドで横になり、カーテンで囲って貰っていた。
その時、誰かが保健室に入ってくるのがわかった。誰かが授業の時間中に保健室に来ること自体は珍しくない。様々な事務員や先生がちょっとしたことを確認しに来るからだ。
が、今回は違った。来たのは女子生徒だった。声でわかる。
呼吸が荒いだとか、付き添いの人がいるだとかいう感じではなかったので、どうやら怪我をしたわけではないらしい。少し気になった私は、耳を澄ませてみることにした。
「あの…カウンセリングで…」
名も知らぬ女子生徒はそう言った。なるほど、カウンセリングか。私の高校では保健室で自由にカウンセリングを受けられるようになっている。相手は保健室のおばあちゃん先生であるので、プライバシーは守られると言っていいだろう。
しかし今は一応授業の時間帯だ。この時間にカウンセリングとは余程のことがあるのではないか、私がそう考えるに至るのは簡単だった。
私はさらに耳を澄ませた。
「私…陸上部で…結構いい記録出してて…大会なんかもよく出てるんです…」
陸上部か。私は無所属、体裁を整えて言うならば帰宅部なので部活の悩みというのには無縁なのだが、それが逆に部活の悩みというものに興味を惹かれた。
「でも…最近よく学校とか部活を休んじゃって…それで…周りの子が私に『大会に出れるのにそれは無責任なんじゃない?出れない人の分も考えてよ。』って…」
私はこの時女子の恐ろしさというのを少し感じた。私の知る限りでは、これが男子ならば、休みがちょっと多いぐらいでこんな発言はしないものだ。
「最初はあまり深く考えなかったんです…でも今度は『修学旅行行くの?休みがちのくせに楽しいことにだけ来るなんておかしいよね。』って…」
私はさらに女子の恐ろしさを感じてしまった。こういうかなり心に響くグサグサ言葉を直接伝えるのは中学生までだと思っていたが、高校でもあるところはあるらしい。
「その子…私と修学旅行同じ班なんです…」
私はそこで耳を澄ませるのを辞めた。これ以上は聞いてはいけない気がしたし、本来内密にされるべき相談を盗み聞きするのは私の良心が許さなかったからだ。
***
とまあ、以上だ。このノンフィクションを読めば何か君にもわかることがあるだろう。
ん?わからない?やはりこれでは少し情報量不足か。では、次の話といこう。
***
私は、今日もいつもの突堤に魚を釣りに向かった。
その突堤は、市街から離れた場所にあり、いかにも魚釣りの名人が居そうな、そんな場所だ。
そこは、俗世から隔離された場所であり、そんな場所には、24時間いつも誰かが釣りをしていた。そこにいると、長い間の都会生活で病んだ神経が、ゆるゆるとゆるんでほぐれていく。
単純に言うと、社会に飽き飽きした私にとっては居心地がよかった。
そこで釣りをする人の顔ぶれは少しずつ代わっていくようだったけれど、それでも毎日顔を合わせる連中は自然に1つのグループを作っていた。
年寄りもいるし、若いのもいるし、まだ小学生であろう少年もいたが、ここの人達と長いこと顔を合わせているのに、私は一度も彼らの職業や身分を感じ取ったことはなかった。
彼らは常に一様な表情であり、一様な言葉で語り合った。
いわば、彼らは世間の顔を置き忘れて、世間とは離れた、マイナーなネット掲示板のようだった。
そして、彼らのグループの中で上下がつくとすれば、それは魚釣りの上手下手によるものだった。
たとえば、将棋所で藤井聡太のような人がいれば、その人は何かとそこで優遇されるだろうし、大谷翔平がよく来るようなバッティングセンターは、大谷翔平が漠然と畏敬の対象になるように。
ここでは、上手は幾分横柄に振る舞い、そうでないものは控えめに振る舞っていた。それも、意識的にではなく、自然に行われていた。が、それもはっきりした純粋なものではなくて、技術だけが問題であるこの世界でも、また人間心理のそれぞれの陰影を含んで来るようであった。
そのグループには、そして微かではあったけれど、一種の排他的気分があった。
私が初めてここに来たのは、5月の頃であったけれど、彼らと口を利くようになったのは、ひと月も経ってからだ。
もっとも、たわしも故知れぬ反発を彼らに感じて、なるべく離れて釣ってはいたのだが、ある日のこと、どういうわけかメバルの大きいのが私の釣針に続けさまにかかったのだ。
その日から彼らは私に口を利くようになったのだが、いわばその日を一人前の釣り人になった日として、私はそのグループの仲間入りをさせられたものらしい。
思うに、彼らの中にある微かな排他の風情も、つまりはこのような微妙な優越感に過ぎないのだ。
日曜日になると、この突堤は沢山の人で埋められる。学生や勤め人が、休みを楽しみに来ているのだ。それを普段の突堤の常連は、彼らをお素人衆と称して嫌った。だから日曜日には彼らはほとんど顔を出さなかった。
しかし、素人衆と蔑みはするものの、私が見るところでは両者には、技量の点からはさほど差があるものとは思えなかった。
もし違う点があるとすれば、魚釣りということに打ち込む熱情の差であっただろう。
面白いことには、日曜日の客たちはひとしく世間の顔で押し通そうちするのである。
たとえば、人の釣っている後ろで大声で話したり、他人の魚かごを無遠慮にのぞいたり、そうした無神経さが防波堤の常連の気にさわっていたのかも知れない。
が、魚釣りを楽しむという点では同じであったから、その点においては両者はひとしく素人であったのだ。世間の延長として釣りを楽しむのと、硬派で、俗世を離れた魚釣り、どちらも理解が足りないだけだったのだ。
ある日、餌がなくなったので、私は海の中に飛び込んで、代わりに黒貝を採ろうとした。
水面近くのは皆採り尽くしてあるから、かなり深い所まで潜らねばならなかった。
苦心して一握りの貝を採ったけれど、突堤に上がろうとすれば、誰かが上から手を引いてくれなければ上れなかった。
ところが皆知らんぷりをして、誰も手を貸そうとはしてくれなかったのである。
しかたなく、私は泳いで浅い所まで行ってから、突堤に向かった。
その時は少なからず腹が立ったけど、後になって考えてみれば、彼等が特に私に辛くあたったわけではなく、こういうのが彼等一般の気質であったのだ。
彼等の、ここにおける交際、いわば触手だけの交際であった。触手がある物に触れると、ハッと引っ込めるイソギンチャクに彼等は似ていた。
この弱気とも臆病とつかない、常連たちの不思議に優柔な雰囲気の中で、ときには争いがおこることもあった。それはどう言う理由があるわけでもない。ごくつまらない理由で、
―――たとえば、釣り糸が少しばかり自分の方に寄り過ぎているとか、妙な声を立てるから魚が逃げてしまうじゃないか、
と、言ったようなことで、今まで和やかな雰囲気の中に、急にとげとげしいものがみなぎってくるのである。
しかし、結局殴り合いや喧嘩になること稀で、四辺になだめられたりしているうちに治まってしまう。うやむやの中に仲直りしてしまう。しかしそのような胎児の瞬間にあって、
それら当人達の表情は、相手を倒そうと言う勇猛な意欲にあふれているわけではなくて、
2人とも、皆からいじめられたような表情をしているのである。
このことが痛く私の興味を引いた。
彼等は非常に腹を立てている。
が、それは必ずしも対峙した相手に対してではないのだ。何者にとも判らない不思議な怒りを、彼等は何時も胸の中にたくわえているらしかった。なだめられたまま治まって、またもとのように背を丸くして並んでいる後ろ姿を見るたびに、私は自分の心まで寒くなるような、悲しい人間のあり方を見ずにはいられなかった。
そのようにして日日はうつり、季節は変わっていった。飽きもせず毎日ここに通っていたせいか、私の肌はすっかり日焼けし、病んだ神経もすっかり治ったようだ。
それと同時に、私は次第に魚釣りに飽きたようにも感じた。そしてそれよりも、あの常連に顔を合わせたくないという気持ちが少しずつ萌し始めていたのである。
突堤に向かうとき、いつも私は今日こそ誰も居ないように、と私は心の中で祈りながら突堤への道を急いだ。
…たとえば、突堤のような浮世を離れたところで終日暮らす人々の間にも、人間の持つ悪徳は何らかの形で現れて来るのである。
人間に顔や手足があるように、悪徳は人間の肉体にくっついて、体臭の如くあるものらしかった。しかし私はそれを嫌だとは思わなかった。そのような人間臭のない透明な性格はあり得ないだろうし、あったとしてもそんな人間は退屈にきまっている。私が常連と顔を合わせたくないのも、彼等の持つ悪徳故ではなかった。
むしろ、私はそうした悪徳を、時には人間的な保証として認める気にすらなっていたのだ。
―――それにも関わらず、突堤の常連へ私の足を拒む力は何だったのだろう。
並んで話しながらも、何か私の心を常連から背けさせたのは、何であろう。
そして、青い海や白い雲にかこまれて、釣りというものは極めて健康なものであるはずにも関わらず、私がそこから嗅ぎ取った微かな腐臭は、あれは何故であっただろう。
―――それは、この釣り人たちの気質の中に漂う、まぎれもない頽廃の微呈であったのだ。
突堤にはいろんな人がいる。昼間から釣りをするのを馬鹿にした警官を殴った男も、日曜日の客を素人とさげすんだ男も、あるいは他人の餌を盗んだ子供も…
全員、自らの人生に打ち込むべき熱情を、釣りという他の低いものとすり替えているのだ。熱情を徒労にすることによってのみ自分を支えて生きて行かねばならぬ彼等の心情が、常に私の心を暗くしてきた。
私はとっくにそれに気づいているのだが、今日も私は朝食を食べたのち、突堤に向かう。夕陽が沈むころまで糸を垂らしている。目に見えぬ何者かに引かれてこの生活を毎日続けていた私も、次第に倦怠感を覚え始めていた。あの常連の、俗から逃避してきた俗人達の姿を嫌悪しながらも、私はなお憑かれたもののように突堤に通った。
***
どうだろう、わかっていただけただろうか。更に内容が気になった方は青空文庫で防波堤と検索してみるといい。
え!?ひょっとして…ひょっとしてだがまだわからないのか!?ふむ、そんなアラハバキさんには次なる話を…と行きたいがここで問題発生だ。
もうすぐ字数制限に引っかかる。8192文字が限界で、只今5257文字目だ。
ここからは、普通に話していこう。
まず、問題の先送りというのは大抵ろくなことにはならないものだ。おっと、勘違いしてほしくないのだが、夏休み宿題のようなことを言っているのではないぞ?心に抱える問題のことを私は言っている。
何でもいいのだが、その問題を抑えることは簡単なんだ。そして、運が良ければ次第にその問題は風化していく。そうなれば万々歳だし、大抵そうなる。
しかし、そうならなかったらどうなるのか。考えたことはあるか?抑えて…抑えて…一向に風化することはなく、問題の火に油が注がれ続けるとどうなるのか。
抑えきれなくなる…というわけではない。不満の形が変わり、歪むのだ。
急にお前は何を言っているんだ、と思うことだろう。わからなくていい。私もわからん。ただ、歪んだ人間はその問題から目を背けるために、その問題とは全く関係のない挑戦をするそうだぞ。それが上手くいくこともあるし、いかないこともある。上手くいったとしても…少し虚しい気持ちになるだろうな。
問題から目を背けたから虚しいんじゃない。理不尽に出会い、虚しくなる。理不尽から逃げて始めた挑戦は最初は全く理不尽のない世界だと思っていた。しかし、そんなことはなくそこでも理不尽の魔窟だった。そのおかしさにより、ついに人は狂う。ああ!かわいそうなこの人間は報われない!報われないのだ!
この人はどうするべきだったのだろう。理不尽を受け入れるべきだったのか?問題が風化するのをじっと待つべきだったのか?私にはわからない。『その気持は誰にもわからない』。そんなものだ。惨めさが人を化物にするこの世の中では他人の気持ちなど分かりはしない。
取り敢えず言いたいこと…それは…
『戦場ヶ原、蕩れ』