(ライブ公開:匿名(184)コメントへの反応は困難であることを、予め伝えておきます)
2022/09/11:「キネノベ大賞6」応募用として投稿
2022/11/03:1千再生
2023/10/21:絵差替版の予約投稿に伴って非公開化
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2023/10/27:絵差替版公開
どうも、忘れ往くthusです。カラオケ動画:
sm42920365 この曲は上述の通り、元々は「キネノベ大賞6」への応募用として投稿した物です。絵の権利関係で再投稿と言った感じです。テーマは確か、都会へ出た少女が心身疲弊する中、実家から届いた母からの写真が入った仕送りに心温まったというテーマでした。そんなテーマなのに何で健忘なのかって思うかもしれませんが、其は人から大切にされた記憶と言うのは、食事は必要だけど何を食べたか忘れる様に、忘れ乍らも体に確かに吸収し社会的信頼感を醸成していく物だと、何かの研究会の講演会で聴いたからです。後は結局、どんなに親しくても老いによって自分を忘れられて了うという物悲しさを年単位で体験したからでしょうか。実際、与えられたテーマを読んで先ず思ったのが時間の進行に伴う老化でしたから、一人暮らしを始めたという処から、嘗ては一緒に暮らしていたという時間の経過を感じて、故に少女よりも地元に一人遺された母の方が気になりました。テーマ絵の写真に何処にも父が映っていなかったので、尚更。少なくとも、現実はコンテンツの様に綺麗な感動物語とは程遠い、愛憎辛苦が糺える縄の如し複雑な物である処、その醜い部分一切を捨象し、美しい所を切り取り典型性な物語として仕上げ消費するという、何とも人間の欲望がよく滲み出たテーマ設定だなと思い乍ら、曲を作った記憶があります。
読んでわかる方もいらっしゃるかもしれませんが、余り前向きに取り組んだ曲ではありません。その関係かいざ知らず、私はこの曲を余り聴きたいと思えないというか、好きではないというかという処が一寸あります。加担したという後ろめたさがあるんですかね。
今年は120曲アルバム制作の方が忙しいので参加しませんでしたが、キネノベ大賞は少なくとも1→3→6→9と187作強→148作強