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牛丼讃歌 -Donblin' gyu!- feat.桑山千雪

ライブ公開
(15分)

しょーりんP
LV24

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この番組は以下の動画のライブ公開番組です

感情を失った通勤途中の社会人から、和気藹々とした家族連れ。客層が広いこの店は、食を通した社会の縮図だ。
メニューをテーブルに広げ、親と何を食すか迷う子供。
20年、30年後、成長したこの子はどんな思いでこの店に来るのだろうか。
きっとカウンターに座り、メニューにも触れずに「並。」と一言。長い目で人生を見る気力も失い、その日その日の仕事に振り回されるのだろう。

ある日の夜、桑山さんと牛丼屋に寄った。……というより彼女が牛丼屋に来るような人ではないので、「今日はこのへんで」と言わんばかりに別れるつもりで牛丼屋に行くと言った。
「わぁ!牛丼!」
ショービジネスの表舞台に立つ人が、牛丼に喜びを見せた。全く予想をしていなかった。
牛丼など、食に効率しか求めない私のような人間が食べるもの。彼女が牛丼屋に居るところを誰かに気づかれたら……。
そんな私の憂いなどよそに、桑山さんは見たことがない美しい蝶を見つけた少女のように瞳を輝かせ、迷いなく、しかしどこか慣れない手付きで紅生姜、七味唐辛子、溶き卵で目の前の牛丼を飾っていく。

古の日本において、上流階級に属する人々の食事は、主食とおかずを別々に配膳することを基本とした。
現代でも、食事に対して殊更に保守的な考え方を持つ人からは、「ご飯をおかずで汚してはならない」という意見もあるそうだ。
かくも白飯に神聖さを見出す者ならば、牛丼は邪道極まりなく見えるだろう。

しかし、食に貴賤を感じることなく、初めて目にする料理と冒険者のような気持ちで向き合う彼女を見た私は、牛丼が邪道なものとは思えなかった。

形式美の無い素朴な料理でも幸福を噛みしめる貴女が喜ぶなら、
歴史が浅くても、日々汗水流す人のために生まれたなら、
今日、こうして貴女と食事がとれるなら、

きっと牛丼も美しい逸品なのだろう。

―――皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。 外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もない―――
新約聖書 マルコによる福音書 第7章 14
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