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配信納めに心霊スポットにイク。 ・ω・

(4時間08分)

あいこん
昼間は観光地、深夜は人の声が聞こえた、人のような白いものが見えた、などと言われる場所。明治時代以前は千年以上前から霊場として極楽浄土を願う人々が参詣する場所でした。当時の人々にとって松島は雄島を意味し、雄島は極楽浄土への中間地点として大切な霊場であったと考えられています。雄島は陸と海の狭間にある島=この世とあの世をつなぐ島でした。 火葬骨を納骨する習慣があり、この習慣は明治期まで続き、今でも骨粉と思われるものが発見されます。島の中にある板碑や石碑の下には当時、遺髪や火葬骨の一部を納め建てられていたからだそうです。 座禅堂は雲居禅師の隠住所として建てられましたが、成仏していない霊が禅師にすがったと伝えられ、その場所を始め島中に遺骨が散乱していたとのこと。 また薬師堂付近では堂守りが住んでいましたが、誰も長続きはしなかった。 なぜかというと、「救ってくれ、救ってくれ」と言う声がうるさくて、夜も眠れない場所であったらしい。 いたるところに骨塔や板碑、磨崖仏があり、諸国から松島瑞巌寺に集まった僧侶や巡礼が修行した場所。 雄島には108の岩窟があったといわれるが、現在残っているのは50ほど。 見仏上人が12年間この島から一歩も出ずに修行し、法華経6万部を読誦した徳を讃えられ、鳥羽天皇から本尊や法器、松の苗木1000本が下賜された。 それから千松島と呼ばれ、そしていつしか千松島が松島全体を指す事になった。 元禄2年(1689年)松尾芭蕉もこの島を訪れています。 【見仏上人】法華経6万巻をひたすら読誦して法力を身に付け、鬼神を使い奇跡を起こしたと伝えられ、西行仮託の仏教説話集には、遠距離空間の瞬間移動ともとれる上人の超能力ぶりが語られている。 2006年島の周りには2000を越える石碑などが海底に沈んでいることが調査で判明した。
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