昨今のMCバトルを端緒とする日本語ラップブーム。いまだその勢いはとどまることがないが、良く考えてみれば「日本語ラップ」という表記は、少々特殊な表現ではないだろうか。かつて起こった「日本語ロック」論争は、日本語でロックを歌うことが可能かどうかという議論だった。やがて日本語のロックが世に溢れ出すと、「日本語」という修飾語は不要なものとなった。同様に「日本語ラップ」が可能であることを今さら疑う者はいないだろう。しかしながら「日本語」という修飾語がジャンル名から取り去られることは、今のところなさそうだ。
その日本語ラップのリリックを追ってみれば、いわゆるバイリンガルスタイルと言われる、英語を多く取り入れたスタイルも多く聞かれる。一方で、環ROYの最新作『なぎ』は、日本語の表現にこだわった作品だ。その詩作方法は、短歌やJ-POPを参照するなど、主にアメリカのそれを参照する多くのラッパーたちとは一線を画すものだ。またダンサーの島地保武とのライブパフォーマンス『ありか』では、即興を軸にしたダンスとラップの交点という別の角度から、日本語という言語の可能性を追求している。
そんな日本語に独自のこだわりを持つリリシストと、『ニッポンの音楽』などの著書でも日本語の歌について考察してきた佐々木敦、自身もラッパーの視線で『ラップは何を映しているのか』などで日本語ラップに着目する吉田雅史の3人が、「日本語のうた」としての「日本語ラップ」について議論する。
日本語ラップの「日本語」とは何か? – ゲンロンカフェ
http://genron-cafe.jp/event/20171122/