• 559
  • 830
コメント

あいこんさん、極楽浄土にイク。。 (´Д`)

(4時間12分)

あいこん
藤原氏により、毛越寺全体に地上における極楽浄土を作りたいという目的の元に創り上げられた浄土庭園は、800年前の姿を現在に伝える日本最古の庭園として世界遺産登録にも大きな貢献をしました。浄土庭園そのものとも言える大きな池は大泉が池と言います。 寺伝によると嘉祥3年(850)慈覚大師が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。大師は不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっておりました。大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現われ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました。これが毛越寺の起こりとされます。 毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡公から三代秀衡公の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失しましたが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。また、文治5年、1189年、泰衡に急襲された義経は、高館にて、悲しみの中妻子とともに自害をしました。元禄2年、1689年5月13日にこの地を訪れた松尾芭蕉が、この悲運の義経をしのび、あの有名な句を詠みました。「夏草や 兵どもが 夢の跡」現在この場所には、松尾芭蕉、直筆の句碑が置かれています。
親作品・子作品を見る