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寺社巡りにイク。。(^-^) 興福寺→横山不動尊→柳津虚空蔵尊

(2時間59分)

あいこん
【柳津虚空蔵尊】東北一を誇る赤い木製の大鳥居が参拝者を出迎える。本堂には神亀3年(726年)に行基が刻んだ御本尊の虚空蔵菩薩と、その脇に弘法大師が刻んだ大黒天と毘沙門天が奉られている。 寺なんだけど鳥居もあり、境内には天神堂、稲荷堂、弁財天の小祠などもあってまるで神社のようだ。明治の神仏分離までは神社とお寺の境界は曖昧だったことがわかる。神亀三年(726)聖武天皇の勅を受けて行基が東国を巡遊し、当地に来て御修法二十一日間一刀三礼を行って虚空蔵を刻み、黄土山(大土山)山頂に創立したのが起源。その後、宝亀二年三月大伴家持が黄土山に登山して、虚空蔵尊を拝し、福島の会津柳津、山口の柳津の仏像を同じく行基の作であり、日本三所の秘仏であるとして、33年目毎に開帳するようになったという。弘仁九年、弘法大師が堂に籠り二十一日間 の密行を勤めた後、大黒天と毘沙門天を刻んで虚空蔵尊の左右に安置して、黄土山麓の現在地へ移したという。虚空蔵尊は丑、寅生れの一生一代の守り本尊であり、境内には撫で牛や寅の像が置かれている。境内には、子安観音、子育延命地蔵、弘法大師堂、薬師堂、弁財天、天神堂などがある。また、当寺の七不思議である玉こぶの欅(弘法大師が杖にしたといわれるけやき、樹齢1200年以上)や、雫の桜(一名涙の桜、しだれ桜、葛西公奥方お手植の桜、葛西公滅亡後晴天にいつもしずく(涙を)流している)などがある。さらに、当社境内入口にある鵲(かささぎ)橋は百人一首にも詠われた有名な橋。今を去る一千年の昔中納言大伴家持の 作として百人一首に詠まれ、永く世人 に親しまれて来たこの歌は虚空蔵に至 るこの橋の上で詠まれたと言い伝えられます。虚空蔵菩薩は本地垂迹説によると、雲南神(うんなんかみ)になるといわれ、その雲南がうなぎに転じたという説、うなぎの雲にのって虚空蔵菩薩が現れる、虚空蔵菩薩を信心していた人がうなぎに助けられた逸話、などがあり殺生してはいけないことになっている。当院の住職はじめ、その家族は皆、うなぎは食べない。 また、本堂脇には「お寺Cafe 夢想庵」があります。冷やしやくよけそばセット1300円、恋の行方を占うおみくじ付き「仙台麩パフェ」800円、手作りケーキとドリンクを味わえる「ちえこのケーキセット」700円、などがある。
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