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神社にイク。。。(´ω`)

(1時間48分)

あいこん
日本武尊がこの地に陣を布き東国征伐をした。日本武尊の没後、父の景行天皇が亡き尊を偲んで、尊が布陣したこの地に大宮白鳥神社を建立したのが白鳥神社の起源とされる。 前九年の役の時に源頼義、義家(=八幡太郎)親子が、康平5年(1062年)正月に陣太刀一振を白鳥神社に寄進したと伝えられる。その陣太刀は今はないが、義家の自筆と言われる寄進状が現在でも神社にある。文治5年(1189)に行われた「奥州合戦」では、源頼朝が戦勝祈願に訪れて白鳥神社に宝鏡と太刀を寄進している。 南北朝時代、陸奥守北畠顕家が後醍醐天皇から命じられて足利尊氏・直義兄弟の追討を命じられた時(1335年12月出征に先立ち白鳥神社に奉幣し太刀を寄進して戦勝を祈ったと伝えられる。顕家の軍は破竹の勢いで南下してたちまち鎌倉を陥れ、出発してから20日で京都近郊に進出し、1336年2月、京都を回復し、尊氏の大軍を九州まで追い払った。 このように武勇に満ちた伝説、伝承があり、日本史にも登場する名将が太刀を奉納して必勝を祈願し、戦に勝利したというエピソードがあります。必勝祈願に特にご利益がある神様として、スポーツや受験シーズンの時にお参りすると、パワースポット・龍穴パワーでご利益があると言われています。 風水では北に山、東西に山脈、東に水、西に道、南に開けた土地をパワースポットと見なし、この中心に龍穴と呼ばれる王者の住まいを置くとされています。 白鳥神社は、北に相山、東には一本松川や白鳥神社を少し過ぎたところで東から南へと流れを変える松尾川(荒川)があり、東西には村田盆地を形成する東山・城山などの丘陵地帯があり、南には村田盆地が開け、南西には城山通りが延びています。 龍穴とは山脈(龍脈)が地に落ちる場所で、気の巡りが大変良いポイントとされています。相山の麓にある白鳥神社は龍穴に当たり、神社そのものが龍穴と見做すことができます。こちらの神社には奥州の蛇藤伝説の藤棚があり、欅には触ると縁起が良いとされるコブがあります。以前は銀杏の木にフクロウが巣を作っていた事もあったそうです。
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