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散歩にイク。。。(´ω`)

(3時間02分)

あいこん
『有備館』伊達政宗は、天正19年(1591年)に米沢から岩手沢に居城を移し、岩手沢を岩出山と改めました。慶長6年(1601年)、さらに仙台城に移り、岩出山は政宗の4男宗泰を初代とする岩出山伊達家が代々伊達一門として治めました。有備館は、江戸時代に岩出山伊達家の家臣子弟の学問所となった建物で、伊達家当主が時折講義に臨むための場所であった「御改所(主屋)」とその附属屋が、現在までその姿を伝えています。有備館の建物「御改所(主屋)」は、二代宗敏の隠居所として延宝5年(1677年)ころに建てられたとする説が有力です。その後、下屋敷・隠居所・学問所として使用されてきました。庭園は、正徳5年(1715年)ころ、4代村泰の時代に整備されたと伝えられています。仙台藩茶道頭、石州流三代清水道竿(しみずどうかん)の作庭で岩出山城本丸の断崖を借景として池中に島を配した廻遊式池泉庭園で、中には300年以上の樹木があり四季を通して緑や花などで庭の変化を楽しむことができます。有備館および庭園は、昭和8年(1933年)、国の史跡名勝の指定を受け、昭和45年に岩出山伊達家より、旧岩出山町へ移管されました。東日本大震災により「御改所(主屋)」が倒壊し、附属屋は壁や屋根に被害がおよび、庭園の各所に地割れや陥没の被害がありました。平成25年11月から始まりました主屋・附属屋等復旧工事が平成27年3月に、正門復旧工事、建物内部の常設展示製作業務は平成28年3月で完了し、平成28年4月26日から建物内部の公開を再開しています。東北地方では会津若松にある松平家の御薬園とともに、二つしかない本格的な大名庭園とされ、現存するものでは日本最古の学校建築ともいわれる。
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