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根廻(品井沼)トンネル。おまん地蔵に手を合わせにイク。

(29分)

あいこん
以下インターネットから抜粋。開通は1890年(明治23年)の根廻隧道。 東西6.5㎞、南北3㎞、昭和30年代に干拓事業により消滅した品井沼。 低地や丘陵地に囲まれた品井沼には沢山の河川が流入し頻繁に水害をもたらした。 品井沼の水を松島湾に流すため(距離にして7.4㎞)江戸時代から本格的な工事が始まり、やがて2500㍍もの二本の排水路(元禄潜穴)などが出来上がりました。 排水路工事は過酷を極め、トンネル上部から魚のハラワタなどを投げ込むと、強制労働の罪人などはそれらを貪り食ったという。 その後も以前と同様に水害が起こり、仙台藩では明治時代までの間に6回の改修工事を行いました。 その度に村からは多くの人々が集められました。 昭和52年に干拓事業終了宣言が出されるまで沢山の人々の血と汗と涙が流れています。 藩主を迷わせたとして自刀した大越喜右衛門と部下6名。 人夫賃の支払いができなくなった人夫頭が、潜穴の中央部に人夫達を集めて慰労名目の祝宴を開き酒を振る舞い、人夫たちが泥酔した頃を見計らって穴頭の土俵締め切りを破り水を流して人夫達を溺死させた。 その中には美人で唄の上手な16才の娘(おまん)も雇われこの場に加わっており菩提を弔うための地蔵尊もあるそうです。 同じように命を落とされた方々や事故により亡くなられた方々が他にも沢山いらっしゃるようです。 これらの工事には総計で32284人が従事した。雨だと思ったら血が滴り落ちていた。 トンネルの内壁に顔が浮き出る。 地元ラジオ番組にてローカルタレントの本間ちゃんが霊媒師に絶対行かないほうがいいと言われシュンとなっていた。 平行して走る電車では時々窓外の暗闇に人の顔が通りすぎるのを見ることもあるそうです。 地元では強制労働者を壁に塗り込めたなどの人柱の逸話や惨殺話、溺死話が沢山言われているらしい。 地元の人曰く、「くれぐれも物見遊山で訪れる事なかれ」
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