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     けん太郎という本名に限りなく近いハンドルネームを名乗る私は茨城県に生を受け、栃木県にて育ち、栃木県内の某ブラック企業を退職後、都内の企業へ転職、職場の移転に伴って現在神奈川に暮らしている三十代独身男。ニコチンとエチルアルコールと活字をこよなく愛するインドア人間である。  身長低く、それと反比例するように体重は重く、頭髪薄し、検眼の際には一歩前に出てもいちばん上から数段目までしかランドルト環(Cのような記号)が判別できない。チビハゲデブというヘレンケラー並みの三重苦に加えてのド近眼。これでは嫁さんの来るあてがないのも道理である。  そんな私でも、幼少の頃には数えるのもばかばかしくなるほど何度も少女と間違われるという美貌、そして幼稚園年中の頃には既に掛け算九九を全て暗唱するという知性を備えたまさに神童と言うべき少年であった。そんな私に両親から寄せられた過剰なる期待は無理からぬことである。  ところが学校に入ると私は両親祖父母の期待とは全く反対方向に向かい、特技はファミコンの連射という馬鹿小学生を絵に描いたような痴態を晒し、指先以外には特に運動もせず、成績は言わずもがなの恐るべき低空飛行であった。中学、高校でも幼稚園の頃に掛け算九九を暗唱するという理系的才能をどこに置き忘れたものか、文系教科で点数を取っても理系教科で足を引っ張り、結果として良くも悪くもない成績に落ち着くという器用なバランスを取っていたのである。そんな私に親が常々言っていたことは「人より良くなれとは言わぬからせめて人並みになれ」であった。できれば私もそうしたかった。  数字と見ればそれがタバコのタール表示であっても鳥肌が立ち、携帯の請求書に至っては吐き気を催すという私のことであるから当然、大学は文系であった。  大学では一部の学生によって時代遅れな左翼的学生運動が展開されていた。おかげで左巻きの傾向にあった私の思想は一気に右傾化し、今では押しも押されもせぬ愛国保守論者である。  昔から褒められた部分が文章力しかなかったため、神奈川で品質管理の仕事をしながら作家を目指すも実らず、中途半端な文才を恨めしく思う今日この頃である。  普通自動車免許、英検三級、ワープロ二級、居合道初段。  こんな私に誰がした。

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