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【FEZ】 セスの大名行列

(30分)

sidaou
大名行列は本来、戦時の行軍に準じた臨戦的・軍事的な移動形態(帯刀する刀の長さも通常の長さより大きなものでもよいなど)であったが、江戸時代の太平が続くと次第に大名の権威と格式を誇示するための政治的なものに変容した。随員には騎馬・徒歩の武士の他、鉄砲、弓などの足軽や道具箱や槍持ちなどの中間(人足)、草履取や医師などの大名身辺に仕える者たちが連なる。参勤交代などの幕府の公用のために行う大名行列は幕府によって人数が定められており、1万石の小大名でも50人から100人を引き連れることを義務付けられ、102万石の加賀藩では最盛期に4,000人に及んだ。これは、大名行列のために出費を強いることで諸大名が経済的実力を持つことを抑制しようとする政治的意図による。そして諸大名は、ある意味この幕府の企みに乗せられた格好になり、自らの体面を守り、藩の権勢を誇示するため、幕府に義務付けられた以上の供を引き連れ、行列の服装も贅を凝らしたものとなる傾向があった。大名行列は、遠くから見ただけでもどこの家中かわかるよう、毛槍や馬印などに特徴があり、それらは江戸時代を通じて発行された『武鑑』に記され、一般でも判別できた。参勤交代の行列は、出立の際や宿場町に入る時、国入りの際などには、毛槍を持たせた中間(ちゅうげん)たちに独特の所作をとらせ、人々を注目させた。これが各地の祭礼行列、神幸行列などに取り入れられ、民俗芸能の奴振りとして全国に残っている。このように、長大かつ華美に走った大名行列は、大名家にとっては財政的な負担となり、次第に大名の財政を圧迫していった。むしろ幕府への不満を増大させ、幕末の討幕運動の遠因となった。
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