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【2017/4/14収録】亀山郁夫×岡田暁生「オーケストラと近代市民社会のみた(悪)夢――ベートーヴェンからショスタコーヴィチまでの交響曲を考える」

CH有料
(2時間48分)

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クラシック音楽への造詣も深い亀山郁夫と、人文科学全体を視野に入れて音楽批評をする岡田暁生が、歴史・社会を軸にクラシック音楽について語る。

岡田が著書『音楽の聴き方』で解説するように、音楽、とりわけベートーヴェンの「第九」に代表されるような近代の交響曲は「共同代を形成する機能」を強固に持つジャンルである。歴史を見れば、交響曲がその後、娯楽として受容され、さらには政治的プロパカンダにさえも利用されたことを私たちは知っているが、にもかかわらず、岡田の指摘するように「音楽は国境を越え、人々を結ぶ」という安易な言説は今も脈々と受け継がれている。交響(=公共)曲のもつ危うさを考察することは、今の時代を考えることとも重なるのだ。

近代交響曲の最後の大作曲家とも言えるショスタコーヴィチは、まさにそんな音楽の効用(=高揚)と政治的権力の間で、常に「作曲する意味」を問われ続けた人物だった。亀山が著書『チャイコフスキーがなぜか好き』で、彼の「交響曲第4番」に対し「現実の歴史を見つめるショスタコーヴィチのまなざしをつねに空想しながら、彼の音楽を聴きつづけている」と述べているように、彼の作品は歴史や社会とは切り離すことができない側面をもっている。のみならず、アンチ・クライマックスの金字塔「悲愴」を残したチャイコフスキー、「法悦の詩」で神秘的な無調の世界を完成させたスクリャービンをはじめ、ボロディン、グラズノフ、リムスキー=コルサコフ、ラフマニノフ、プロコフィエフなど、豊かな歴史を持つロシアの交響曲作曲家は伝統的に、音楽的な内容が、自身の社会に対するまなざしを含む作品を書き連ねてきた……(全文は下記ページをご参照ください)

オーケストラと近代市民社会のみた(悪)夢 – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20170414/
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