秩序と種の保存
人類ほど秩序に進化のない生物はいない
既述であるが,人類が神学をおぼえた頃から,他の生物より少しばかり知能が高くなってしまったばかりに,哲学が発展し,分化して自らが作りあげた法学(イスラームのコーラン同様)が人類そのものを拘束するに至った。
同種族における弱者を守る理由や意味を忘れてしまったかのように
強者は奮う力の矛先を誤り
縄張りの境界線において誤った争いを繰り返し
無尽蔵ではないことを知りながら,資源を貪り尽くし続け
殆どの人間が,人類は他の生物より特別であると漫然誤認し
或る者は公然と暴力を繰り返し
或る者は共生という名の偽善を盾に,欺瞞に溺れ
名ばかり,表層のみの『人類の発展』こそが,地球の幸福であると謂わんばかりに
馴れ合い,同種族同士の共食いを ただただ続ける
少し視野を狭めて 実例を挙げてみよう
何故,日本国内において,責任能力があり,正当防衛行為に該当しない状況下にある者が,人を殺害して制裁を受けるのか
許認可があれば,牛という生物を育て殺害して売買する行為に制裁が加えられないのか
人を殺害しても制裁を受けないのは,責任能力がない場合,又は,人を殺害せざるを得ない程度の正当防衛をしなければいけない状況にある,という厳格な要件が必要である。
逆に,無認可・無許可でも,多少の知恵があれば,人以外の生物を殺害して売買をしても,制裁を受けずに済む場合が多い。
これは,広くいう,法学,経済という分野に絞りをかけての例である。
ルールを守れば,殺傷能力が高い道具を使用し,鹿撃ちもできれば,魚を釣り上げることもできる
マラリア等の伝染病に罹患する可能性が限りなく少なくとも,自己の不快感防止等のためだけに,牛が虻を尻尾で払いのける以上の殺意をもって,蚊を叩き潰す。
蟻は,その存在より遙かに大きな生物に踏み潰されることを良しとしているかどうかは分からぬが,よほどの蟻愛好家でもない限り,蟻の命に気を遣いながら生きている人間はいないであろう。
自然科学の世界にあっては,数億光年先の星に生物がいたと仮定して,その生物の内一個体が何らかの行為をすることで,地球上のどこかで投げたコインの裏が出るとの因果可能性を認めながら,哲学の世界では,それを否定も肯定もしない。哲学といっても,相当分化されているし,自然科学と一括りにするのは,かなり乱暴であるのは,承知している。
これをそのまま使わせていただこう。
人類が文明と銘打って育んでいる世界は,1人の命を犠牲にして99人の命を救うことと,99人の命を犠牲にして1人の命を救うことに,異議を唱えられないものだろうか。強姦罪だとか窃盗罪と呼ばれる行為,金融犯罪,政治犯,政治家の汚職,官僚犯罪と呼ばれる行為をした者を制裁することで,何がどう,誰のためにされ,その帰結,秩序が守られるか,何かが壊されているか,までを考えて生きている人間はいるのか,果たしてそういった人間は,どの程度いるのか,そもそも,人類は必要であるから存在しているのか,存在しているから人類は存続しようとしているのか,或いは,何かを破滅させる為に存在しているのか,それ以外の目的なのか,どこまで何を考え,公然と「意見」し,生活をしているのだろうか。
人類は,実に傲慢な生物である,ということだけは言えよう。
要するに,人類も,紛れもなく,他の動植物と同じく,生きているから,生き続けているだけである。
それ以上でも以下でもない。
改めていうが,知能が少しばかり発達してしまったが故,人類にとって不画一的な秩序が,人類という種を守り,壊し続けていくことになる。
それが,人類の歴史になる。
千年後に会うか結ばれましょう。カルシウムという物質として。
そこに意志や意思があるかは分からない
僕は,生まれ変わるならば,カルシウムになりたい。