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【終戦特集】ドキュメンタリー映画 広島・長崎で二度被爆した七人の証言と遺言

公式
(2時間21分)

終戦特別企画「69」提供:株式会社ドワンゴ
広島・長崎で二度被爆した七人の証言
初めて明かされる二重被爆の真実


1945年8月6日広島、9日長崎に原子爆弾が投下された。
死者合わせて20万人、今も23万人(被爆者健康手帳保持者)
を越える人々が原爆後遺症に苦しんでいる。その被爆者の中に、
広島と長崎の両方で被爆した人がいる。
『二重被爆』者である。

8月14日(木)21時から、終戦特集ドキュメンタリー
2011年の記録映画『二重被爆~語り部・山口彊の遺言』と
2006年の記録映画『二重被爆』を2本立てインターネット初上映いたします。

【上映スケジュール】
21:00~『二重被爆~語り部・山口彊の遺言』
22:15~『二重被爆』


記録映画『二重被爆~語り部・山口彊の遺言』(2011年)
<img src="http://nl.simg.jp/img/201408/441744.0bf32d.jpg" alt="山口さん" width="420" 、height="261">

広島・長崎で2度被爆した山口彊(やまぐちつとむ)さんの被爆体験と
核兵器廃絶を訴える語り部活動の記録。
2005年、90歳を直前に最愛の息子を失った彊さんが、国内外に発信しようと
活動を始め、国際連合での講話を皮切りに精力的に訴えかけを行い、
自ら胃がんで亡くなる前にジェームズ・キャメロン監督と対面した記録などを
余すところなく描いている。

山口彊さんは2010年1月、93歳で天に召されました。
若い人達に「あなたたちに(この思いを)バトンタッチしたい」 と
語りかけ続けた山口さん。ぜひ多くの皆さんにこの映画をご覧戴きたいと思います。

●企画/プロデューサー/監督:稲塚秀孝
●共演:山崎年子(長女)、キャサリン・サリバン(平和活動家)、グエン・ドク(枯葉剤被害者)、
    ジェームズ・キャメロン(映画監督)、チャールズ・ペレグリーノ(作家)、【語り】加藤登紀子
●製作:タキシーズ(二重被爆製作委員会)
●関連リンク:『二重被爆~語り部・山口彊の遺言』通信



記録映画『二重被爆』(2006年)
アメリカにより広島と長崎に投下された原子爆弾を、
両都市で被爆した7人の「二重被爆者」に迫ったドキュメンタリー。
60年間歴史の中に埋もれていた彼らの存在を明らかにし、
人種や言葉の壁を超え、原爆の非人道性を訴え掛ける。

●企画/プロデューサー:稲塚秀孝
●監督:青木亮
【出演】 ※年齢は上映当時
山口彊 山口彊さん(90)
当時長崎市にある三菱重工業造船所の設計技師だった山口さんは、昭和20年5月から3ヶ月間広島へ出張し、長崎へ帰る前日に広島市内で被爆した。大火傷を負いながらも同僚と共に翌8日列車で長崎の自宅へ戻った。そして翌9日朝、造船所へ出向いたまさにその時、再び被爆をした。被爆により左耳の聴力を失い、急性白血病や白内障を患うなど数々の闘病を重ねてきた。脳梗塞による左半身麻痺となるもののリハビリを続けながら、原爆の悲惨さを訴え続ける。

佐藤邦義さん
 佐藤邦義さん(87)

山口さんの同僚であり二重被爆体験者。広島では三菱重工業の事業所で被爆し、列車で戻った長崎では事業所向いのフェリー乗り場で被爆。その瞬間「またか」と思い咄嗟に海に飛び込んだという。

岩永章さん
 岩永章さん(86)

山口さん、佐藤さんと共に三菱重工業で勤務。広島では2人と同様に事業所で被爆し、長崎では到着直前の列車の中で2度目の被爆を体験した。

松平和夫 松平和夫さん(66)
長崎新聞社社長。疎開先の岡山から長崎に戻る途中、原爆投下後の広島市を横断し(入市被爆)、9日朝長崎に到着。中心地で食堂をしていたという自宅に戻り、裏口から入った瞬間に2度目の被爆をした。当時5歳と幼かったため、被爆体験は後に母から聞いたという。これまで大勢の被爆者の方々を取材してきたが、自分はたいした体験ではないと思い、これまで話さずにいた。しかし被爆者も高齢化し、自分も伝えてゆくべきだと感じ、今回この映画に出演して頂く事となった。

浦頭和子
 浦頭和子さん(67)

長崎県五島市在住。小学1年のとき広島で被爆した後、叔父を頼って長崎へ列車で移り、到着直前の駅で再び被爆。縁あって五島にやってきて農業を営む。「何があっても、もっとひどい目に会った人があるということを忘れない」と浦頭さんは語る。

荒木良子
 荒木良子さん(83)

荒木さんは当時23歳で、生後5ヶ月の乳飲み子を抱えたまま、長崎の自宅で被爆。懸命な看病の甲斐もなく、子供は10日後に死亡。親戚を頼り、広島市内を横断して竹原市に移り、自分自身も1ヶ月間入院した。ガラス片を取り除くのに10年を要したという。

賀谷美佐子
 賀谷美佐子さん(76)

当時15歳の中学生だった賀谷さんは広島で被爆し、母と妹・祖母を亡くした。埋葬後に父の実家がある長崎の戻ったが、長崎は被爆直後であった。そのため、高熱や出血、血便が続いたという。「核兵器を保有する国に対し、許せない思いが募る」と賀谷さんは語る。


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