享年28歳。兄が「秋葉原無差別殺傷事件」の犯人であるという現実はこの6年間どれほどの苦痛を彼に与え続けただろうか
事件当日、着の身着のままアパートを出てからの、職と住居を転々とする日々。しかし、引っ越して1ヶ月もするとマスコミの人間が彼のもとを訪れる。「やっぱり逃げられないんだな」という諦めにも似た思い。がそんな中でも「希望」はあった。恋人ができたのだ
辛かったのは、彼女から言われた「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」という言葉だったという。最初で最後の恋人との破局は彼に深い絶望を与えた
そうして死の1週間前の今年2月には、餓死に失敗。彼は記者にこう語ったという
「餓死って難しいですね。10日目に水を飲んでしまった。なぜ餓死か? いちばん苦しそうだから。やっぱり、加害者は苦しまなければならない。楽に死んではいけないんです」
それから1週間後、自らの命を絶った
この十数年ほどで、この国ではやっと「被害者遺族」への支援や権利について語られるようになってきた。まだまだ法整備など足りないことだらけだが、「被害者遺族」がまったく顧みられなかった時代を思えば、ほんの少しだけ前進していると言えるだろう
一方で、加害者の家族の問題については手つかずのままだ
「加藤智大の弟、自殺」という一報を知った時、私の頭に浮かんだのは宮﨑勤のことだった。88年連続幼女殺人事件を起こした宮﨑勤の父親もまた事件後に自殺している。父親のもとには、全国から大量の非難の手紙が届いていたという
事件発生後、多くのメディアが加藤智大が母親から受けていたという「虐待」について書き立てた。母親は精神科に入院し、一時は誰も面会できないほどだったという。一方で父親は、勤めていた信用金庫を退職。脅迫や嫌がらせ電話が相次ぐことから電話を解約し、あの事件以降、電気をつけずロウソクの灯りで暮らしているという。ちなみに両親は既に離婚している
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